back numberの楽曲『水平線』
何処にもぶつけられない憂いを包み込むような楽曲。
今回は、こちらの楽曲について歌詞を解釈していきます。
楽曲について
8月18日は当楽曲の公開日であり、同時にインターハイの開会式が行われる日でもありました。
この楽曲が出来た背景は、新型コロナウィルスによって人々の未来が失われてしまったことにあります。
以下は公式MVで綴られていた清水さんのメッセージです。
費やし重ねてきたものを発揮する場所を失くす事は、
仕方ないから、とか、悲しいのは自分だけじゃないから、
などの言葉で到底納得出来るものではありません。
選手達と運営の生徒達に向け、何か出来る事はないかと相談を受けた時、
長い時間自分達の中にあるモヤモヤの正体と、これから何をすべきなのかが分かった気がしました。
先人としてなのか大人としてなのか 野暮な台詞を探してしまいますが、
俺たちはバンドマンなので 慰めでも励ましでも無く音楽を ここに置いておきます。清水依与吏(back number)<https://www.youtube.com/watch?v=iqEr3P78fz8>より引用
自分たちアーティスト側もライブが出来ない状況に迫られ、これからの活動がどうなるか分からない現状。
そんな中で、私たち聴き手に寄り添い続ける音楽を届けてくれる姿に感動しかありません。
一個人の解釈ではありますが、1つ1つの歌詞をみていきたいと思います。
歌詞を解釈!
ここからはbacknumber/水平線について歌詞を解釈していきます。
※以下の解釈はあくまでも一個人の解釈であることをご理解の上お読み頂ければと思います。
【1番】大いなる受容
出来るだけ嘘はないように どんな時も優しくあれるように
人が痛みを感じた時には 自分の事のように思えるように
<水平線/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏>
綴られているのは、これまでに一度は聴いたことのあるような人間として持つべき態度。
どちらも、目前にあった未来が崩壊していく風景を横目にして、自分に言い聞かせているのだと解釈します。
- こんな状況だからこそ自分は「強く優しく」在り続けないといけないんだ
- 自分だけが痛みを感じているわけではないから
不条理な現実を叩きつけられてもなお、耐え続けている人々の心理を描写しているのではないでしょうか。
今にも溢れ出しそうな負の感情を必死に抑え込んでいる状況が読み取れます。
この楽曲はそれに対して否定も肯定もすることなく、「そう想っているんだよね」という受容をしているのです。
正しさを別の正しさで 失くす悲しみにも出会うけれど
<水平線/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏>
新型コロナウィルスが流行している現在、「正義」が何であるのかは全くの不明です。
これまでに普通とされてきたものが「悪」へと変容し、次々と周りから姿を消していきます。
そうしている行為もまた「正解」なのかそうではないのか判断のしようがありません。
インターハイ生だけに限らず、全世界の人々の積み上げてきたものが一瞬で無き物に。
全てのものが止まってしまったのに、悲しみだけは日に日に大きくなっていきます。
水平線が光る朝に あなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に 誰かが綺麗と呟いてる
<水平線/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏>
筆者が印象的に感じたのは、冒頭の『水平線が光る朝に~』というフレーズです。
これは、いつも日常的に過ごしていた何気ない日々でも突然に終わりがくることを示しているのでしょう。
その中で、決して未来が途絶えたわけではないとしているのが後半の2行ではないでしょうか。
具体的に道を示すことも何か行動を起こすことも出来ないのは承知の上。
それでも未来を描いた言い回しをしているのは何故なのか。
それは恐らく、清水さんのこれまでの経験が言わせていることであり、清水さん自身の願いでもあるのだと解釈します。
花の散り際に美しさを感じるように、終わることが0になることではないのです。
悲しい声で歌いながら いつしか海に流れ着いて
光って あなたはそれを見るでしょう
<水平線/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏>
嘆いて悔やんで怒った先にあるのは、自分のこれまでを受け入れてもう一度歩き出せるような輝き。
『海』とは全ての物が流れつく終着点であり、全ての始まりの地でもあります。
感情的に綴られた歌詞であるのに、どこか聴いていて落ち着きが取り戻せる楽曲です..。
私たちも自分自身を肯定されたり否定されたりしたいわけではないのです。
冒頭でも述べたように、この状況を理解して受け止めてほしいのだと、筆者はそう想っています。
【2番】闇の中に光があることを信じて
自分の背中は見えないのだから 恥ずかしがらずに人に尋ねるといい
心は誰にも見えないのだから 見えるものよりも大事にするといい
<水平線/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏>
ここで綴られているのは、【自分には見えるもの】と【自分にしか見えないもの】
何もかもを自分で抱え込もうとせずに、人の力を借りることもまた大切だといっているのです。
自分の物差しで測った物事も、他人からすれば捉え方が変わることだってある。
自分では気づかなかったことも、誰かを介することで新たな気づきが生まれることだっである。
現在の世の中は、皆が自分の事で精一杯になっています。
だからこそ、「他者」の重要性を今一度提言しているのではないでしょうか。
そして自分以外には見えないものが「心」
自分自身が終わりを迎えるその日まで、常に生を共にしてきた【もう一人の自分】ともいえる存在です。
それを誰にも渡してはいけないし、手放すことがあってはいけないといっているのです。
あなたの感情が言葉が覚悟がその「心」から生まれていることを再認識して欲しい。
今にも生から目を背けてしまいそうな人々へのメッセージのようにも感じられます。
毎日が重なる事で 会えなくなる人も出来るけれど
<水平線/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏>
ただの同じようで変わり映えのない日々が続いていく世界だと思っていた私たち。
昨日傍にいた人が明日には居なくなってしまうことの無常さを改めて突き付けられている現在。
筆者が注目したフレーズは『会えなくなる人も出来るけれど』という言い回しです。
- 会えなくなる=不可能
- 出来る=可能
その不可逆的な儚さに心痛するばかりです..。
きっとこれからだって、悲しみと後悔の隣り合わせなのでしょう。
透き通るほど淡い夜に あなたの夢がひとつ叶って
歓声と拍手の中に 誰かの悲鳴が隠れている
<水平線/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏>
光の中に闇があることを提言しているかのようなフレーズです。
だとするならば、逆にいえば、今の闇のような現状の中にも光があるはず。
一縷の希望を握った手を下ろさないでくれというメッセージにも感じられるリリックです。
耐える理由を探しながら いくつも答えを抱えながら
悩んで あなたは自分を知るでしょう
<水平線/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏>
あらゆるものが失われていく中で、人々は様々な考えを巡らせています。
その中で自分を納得させられるような解答なんて見つかるはずが無いのです。
それほどに今、この世の中で起こっていることは理不尽極まりない。
そうだとしても、何度も自問自答を重ねた先で新しい考え方に出会えることを信じている。
誰にだって確証は出来ないけれど、確かに心の奥で静かに灯り続ける火があるのです。
誰の心に残る事も 目に焼き付くこともない今日も
雑音と足音の奥で 私はここだと叫んでいる
<水平線/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏>
前半の2行は、「インターハイがあるはずだった今日」を比喩しているように解釈出来ます。
本来ならば、大切な人や仲間の心に強く刻み込まれることになっていた日。
大勢の心に喜びと感動を与えられる可能性があった日。
何より、自分自身が生を実感できる後にも先にも代えられない日だったのです。
それが幻のように全てが消え去った今日でも、諦めることなく憂いを抱えたまま生きていく。
もう一度、水平線が光る朝に笑顔でいられる日まで。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
back numberの楽曲『水平線』について歌詞を解釈していきました!
新型コロナウィルスが多大なる影響を及ぼしている現在への想いを強く謳い上げた楽曲。
何よりもインターハイなど未来がかかっていたモノが失われた人へのメッセージ。
この歌を聴いて何か変わるわけではありません。
しかし、この歌は確実にいつまでもここに残り続けています。