【悔やむと書いてミライ/まふまふ】歌詞の意味を解釈!【消えない希死念慮】

まふまふ

2020年4月22日に公開された
まふまふさんの新曲
悔やむと書いてミライ

本記事では楽曲の歌詞から
楽曲に込められたメッセージや想いを
筆者なりに解釈していきます。

筆者
筆者

本人曰く、久しぶりのギターロックだそう。
まふまふ×ギターロックはハズレ無し。

 

楽曲について

【MV】悔やむと書いてミライ/まふまふ

2020年4月22日にニコニコ動画でMVが公開されました。
翌日の23日にはYouTubeにてMVが公開。

この楽曲は
【プロジェクトセカイ カラフルステージ!feat.初音ミク】
「25時、ナイトコードで」書き下ろし楽曲であり、
今回はセルフカバー歌唱として投稿されています。

筆者
筆者

去年に制作された楽曲のようです。
ギターロック楽曲=昔のまふまふ
という印象がありますよね。

 

歌詞

一思いにボクを刺してくれたら
いいのにな いいのにな
不条理な御託で刺してくれたら
いいのにな いいのにな

いつかゴミに出したのに
袖口に隠していた生涯
燃やせぬまま
灰になれずにいたんだ

死にたい 消えたい 以上ない
こんな命に期待はしないさ
故に夢に魘され
塞いだ過去に咲いた世界

癒えない 見えない傷ほど
きっと瘡蓋だって出来やしないと
僕は知っていた
悔やむと書いてミライ

生きるふりをして死んでいくのが
人生か 人生だ
それじゃボクらはどうしてこの世に
こんな未完成な体に
未だ 心を持っているんだ

きっと拉げた如雨露で
花を咲かせようとした そうさ
種一つない土に撒いちゃいないか

だから一抜けした 捨てた
この世の流行り病のような愛も
爪の先よりも細い
底浅い 友の情愛も

知らない 知りたい こともない
どうせ言葉以上の意味などないと
ボクは知っていた
悔やむと書いてミライ

片道分の蝋を持って
消さないように必死になって
わずか照らした一寸先の
穴ぼこは誰が落ちた跡?

それが人生です
ボクらが手にした人生なんです
生まれたこと自体が
間違いだったの?

死にたい 消えたい 以上ない
こんな命に期待はしないさ
故に 夢に魘され
塞いだ過去に咲いた未来

癒えない 見えない傷ほど
きっと瘡蓋だって出来やしないと
僕は知っていた
悔やむと書いてミライ

消えたいの 消えたいの
何回だって言い聞かせた
夢も見れぬような 後悔を頂戴

 

歌詞を解釈

1番

一思いにボクを刺してくれたら
いいのにな いいのにな
不条理な御託で刺してくれたら
いいのにな いいのにな

自分の命を終わらせたいと思い続けている本心と
簡単には終わらせることの出来ない現実との狭間で
揺れ動く葛藤やジレンマが描かれています。

例え、条理に沿っていない罵詈雑言や
突き落とすような言葉を吐き捨てられたとしても

それでも自分を消してくれる手段に変わりないのなら
今すぐにでも構わない
まるで病のような自分を厭わない感情に陥っている。

いつかゴミに出したのに
袖口に隠していた生涯
燃やせぬまま
灰になれずにいたんだ

ゴミに出した“=一度は人生を終わらせようとしたのです。
しかしながら燃やす事が出来ないまま生き続けてしまっている。

袖口に隠すとは心理学的な意味合いも加味して
本心の裏返し』という意味があります。

よって主人公は本当は何処かで死にたくない
という願望を持ち続けているのです。

ですが、だとしてもこれから生き続けて
何になる?どうやって今の惨状から抜け出せばいい?
と未来に対する漠然とした不安を抱いているのです。

 

死にたい 消えたい 以上ない
こんな命に期待はしないさ
故に夢に魘され
塞いだ過去に咲いた世界

癒えない 見えない傷ほど
きっと瘡蓋だって出来やしないと
僕は知っていた
悔やむと書いてミライ

韻を踏んでリズミカルに流れるサビですが
込められている想いはどれも悲観的なモノばかり。

全体としては今の自分の人生に対して
全くの期待を抱くことが出来ず、
口を開けば、”死にたい”と”消えたい”ばかりという
まさに今にも死と隣り合わせの心情が描かれています。

そんな心情だからこそ、顧みるのはいつも自分の過去。
あの日この日と粗探しをして悔やみ続けるのです。

夢に魘されるとはまさに自分の過去の端々が
脳に張り付いて呼吸をするようにフラッシュバックするのです。

さらに歌詞中の瘡蓋に触れていきます。
瘡蓋が出来る“とは、傷が治って元通りになる前触れ。
つまり”瘡蓋が出来ない傷”とは心の傷や自分の内面の痛み。

そんな瘡蓋が出来ない傷ばかりを負った人生の未来は
まさに”後悔”ばかりの人生なのです。

タイトルになっている”悔やむと書いてミライ“とは
これから先も悔やみ続ける人生を送るという
先が真っ暗な心情を投影したタイトルだと感じました。

筆者
筆者

本当にまふまふさんの過去が垣間見えるような
リアルかつ共感止まない歌詞…。

 

2番

生きるふりをして死んでいくのが
人生か 人生だ
それじゃボクらはどうしてこの世に
こんな未完成な体に
未だ 心を持っているんだ

ここで表現されている”生きるふり“とは
何か堪えたまま生きたり、
我慢して生きたりすることだと感じました。

何も自分の本心と会話することもなく死んでいくのです。

また、”未完成な体“とは
そんな自分の本心に沿って生きることが出来ない人間
そのもののことを指しているのではないか。

自分もそんな”人間”の一人であることから
何故人間にはそのくせに心が備わっているのかと
疑心している様子が描かれているのです。

 

きっと拉げた如雨露で
花を咲かせようとした そうさ
種一つない土に撒いちゃいないか

ますは本来の花を育てる過程をイメージして頂きたいです。

如雨露の中に入っているのは水。
一般に水を花に掛けるのは花が育つ栄養素の一つであるから。
また、如雨露はそんな水を入れておくために必須の容器なのです。

これを主人公に置き換えていきます。
水を入れる容器(=如雨露)すら拉げているということは
主人公が人間としての欠陥であることを意味しています。

更に追い打ちをかけるような”種の無い土”という表現。
種とは花の心臓や命ともいえる部分。
そんな種すら備わっていない主人公は空っぽなのです。

花を育てるという情景に比喩された
自分という人間を生きていく事すら空回りしている様子
が描かれています。

だから一抜けした 捨てた
この世の流行り病のような愛も
爪の先よりも細い
底浅い 友の情愛も

ここでの”一抜け“とは
社会のレールや人間としての普遍とされている行い
から外れたことを指していると感じました。

愛を”流行り病“と表現しているのは、
それほどに普遍的に愛が人間の生活の中に存在していることを
表しています。

また病と表現していることで愛=悪だと思い込み、
自分はそんな病とは無関係だとし、
必死に愛を否定しようとしている主人公の心情。

友の愛情や友情すらも捨てて、
もう何も信じれなくなり、
ますます深い闇へ落ち込んで行く主人公の心。

 

知らない 知りたいこともない
どうせ言葉以上の意味などないと
ボクは知っていた
悔やむと書いてミライ

言葉以上の意味などないと言って
自分へ必死に言い聞かせている様子が描かれています。

過去も未来も現在も真っ暗な状況で
もう自分が言葉で否定し続けるしか無くなっているのです。

 

片道分の蝋を持って
消さないように必死になって
わずか照らした一寸先の
穴ぼこは誰が落ちた跡?

それが人生です
ボクらが手にした人生なんです
生まれたこと自体が
間違いだったの?

片道分“という表現からは
もう過去に戻ることは出来ないという
ある種の残酷さが表現されています。

蝋とはまさに自分のすり減る命の比喩。

一歩一歩、疑心暗鬼になりながら必死に
未来へと足を擦りながら歩み続ける日々。

照らした一寸先さえも穴ぼこが存在しているほどに
この世界は曲がっているのです。

自分の無力さや過去の後悔を強く謳っている一方で
世の中に蔓延る生きづらさを呈しているように感じました。

 

死にたい 消えたい 以上ない
こんな命に期待はしないさ
故に 夢に魘され
塞いだ過去に咲いた未来

癒えない 見えない傷ほど
きっと瘡蓋だって出来やしないと
僕は知っていた
悔やむと書いてミライ

消えたいの 消えたいの
何回だって言い聞かせた
夢も見れぬような 後悔を頂戴

最後の最後まで
自分を辞めてしまいたいという欲求に飲まれ続けている。

自分を前向きにすることすらおろか、
死ぬことに振り切れるきっかけになるような
後悔が欲しいと嘆き続けているのです。

筆者
筆者

今回の楽曲は最初から最後まで
闇に落ち続けるようでした…。

まとめ

【MV】悔やむと書いてミライ/まふまふ

いかがでしたでしょうか。
拙い文章ながら
まふまふさんの新曲『悔やむと書いてミライ
歌詞の意味を筆者なりに解釈していきました。

久しぶりのギターロックという事で胸が高鳴りましたが
まさに待ち侘びていたまふまふさんらしい楽曲でした。

歌詞の一つ一つはネガティブながらも
どこか他人事とは思えない共感性があります。

まふまふさんの他楽曲についてもいくつか
歌詞の解釈記事を執筆しているのでよろしければ!

コメント

タイトルとURLをコピーしました